円福友の会~世界なかよしのボランティア~

ホーム > 円福友の会~世界なかよしのボランティア~ > 円福友の会 途上国支援について > プレイクチェイ小学校 建設状況 > プレイクチェイ小学校訪問報告

2016年3月

プレイクチェイ小学校訪問報告

1. 期日と時間

1月27日(水)午前8:30~11:00頃

2. 会議場所

プレイクチェイ小学校円福友の会建設校舎左端 幼稚園と職員室に使用している教室(この教室はまだ使える)

3. 内容

(1) 校舎の傷みの確認

キムホン氏、施工業者(キムホン氏のおじさん)、学校関係者(区長、村長、教育委員、校長等)と校舎内外を点検し、校舎の傷みを確認した。
キムホン氏と施工業者は、解体して使用できる木材の有無とその量を確認した。

写真の中央がキムさん、その左がおじさん(施工業者)おじさんの左が村長さん、他学校関係者である。
写真の中央がキムさん、その左がおじさん(施工業者)おじさんの左が村長さん、他学校関係者である。

キム氏の話
壁板が薄い。壁板は傷んでしまっていてほとんど使えない。使えるのは全体の10%程度だろう。
おじさん(施工業者)は、学校へ来るにあたってスケールを購入して、後でキム氏と共に校舎の大きさを計測した。

私の左が村長さん、右が区長さんMr.Khiev Rithyphoin、その右が校長先生Mr. Sok Simet、他は教育委員である。
上の写真で、私の左が村長さん、右が区長さんMr.Khiev Rithyphoin、その右が校長先生Mr. Sok Simet、他は教育委員である。

(2) リティフォィン氏や先生との話

訪問してキム氏と大工さん(キム氏の伯父さん)と一緒に校舎の傷みや壁の状態を点検していると、この地区で一番偉い区長さん(リティフォィン氏)が来た。大きな体をゆすって、「二十年間で大勢の子ども達がこの学校で学び、先生になって戻っている人が三人、お医者さんや弁護士さんになった人もいる。これは、校舎を建ててくれた藤本幸邦氏のおかげで、感謝してもしきれないほどだ。お亡くなりになったこと聞いて、みんなで菩提を弔っています。」と話された。そのうちに三人の先生がやってきて、口々にこの学校で学んだおかげで先生になれたと感謝の言葉を述べて、合掌して「オークン」と何度も言うのだ。父のした学校建設がこんなにも感謝され喜ばれていることを改めて実感し、嬉しかった。

すると、それまで心につっかえていた「学校関係者はなぜこんなになるまで校舎を補修しなかったのだろう」という疑問は氷解して、もっと前向きにこれからの校舎建築と維持管理に力を結集しなければと言う思いに駆られた。

前列右側の三人の女性が、プレイクチェイ小学校で学び先生になって戻った人たちです。
写真の前列右側の三人の女性が、プレイクチェイ小学校で学び先生になって戻った人たちです。

(3) 会議

立ち話ではきちんとした話ができないので、私は教室へ行くことを促した。
校舎の左端の教室は使用可能で、幼稚園と職員室を兼ねていた。そのテーブルにみんなで座った。私は一番上位に座るよう区長さんが促してくれた。

テーブルの上面図
校舎の左端の教室。まだ使える。幼稚園兼職員室として使っていた。入り口の足元に、屋根補修用の瓦が積んであった。
校舎の左端の教室。まだ使える。幼稚園兼職員室として使っていた。入り口の足元に、屋根補修用の瓦が積んであった。
会議の様子。この写真はMr.Khiev Rithyphoin区長さんのフェイスブックから使わせていただいた。
会議の様子。この写真はMr.Khiev Rithyphoin区長さんのフェイスブックから使わせていただいた。

私が話した内容は次のとおりである。

円福友の会で建設した校舎が20年でこんなにも傷んでしまって、たいへん悲しく思っている。でも、大勢の子どもたちがこの校舎を使って学び、ある人は先生になって戻ってきて、ある人はお医者さんや弁護士になっていると聞いて、本当に嬉しく思った。そして、お話を聞くと皆さんがこの校舎の建て替えを強く希望しているが、貧しさ故に、そして政府も財政難で校舎建築には手が回っていないことから、速やかな自力の校舎の建て替えは困難であることが伝わった。それで、私は、どんな形になるか分からないが、この校舎の建て替えをお約束する。
円福友の会の資金には限りがある。それで、いくつかお聞きしたい。
二十年間でこの校舎を学んだ児童は何人いるのだろうか。その数と、その後にどんな仕事についた人がいるのかを教えてほしい。(表を渡した)
次に、コンクリートの校舎は長持ちして望ましいことは分るが、資金がない。木造校舎のリフォームでも良いだろうか。
さらに、リフォームに当たって皆さんはどんなことを協力してくれるのだろうか。

意見交換になった。
校舎の建て替えを約束したことにより、その場が和んだ。そして、木造校舎のリフォームでも、とても嬉しいと、全員が言ってくれた。
地元の協力については、貧しいので資金提供はできないが、労働提供はできるだけのことをする、と話してくれた。全員がうなずいていた。
校舎の維持管理についてもできるだけのことはすると言う。
私は、シロアリ駆除剤の塗布と、壁板ペンキ塗りを提案した。キム氏にシロアリ駆除剤塗布は毎年、壁板ペンキ塗りは二年半に一度は必要であることを聞いていた。
薬剤とペンキは円福友の会で寄贈することも考えていたが、そのくらいは地元が購入すると約束してくれた。教室の床に、学校関係者が購入した瓦が置いてあった。修理をする気持ちがあったのだと了解した。
校舎の修復にあたっては、現在の位置から二十メートル程度下げてほしいと言われた。検討する。

会議の中で、木造校舎で良いこと、建てる時はできるだけの労働提供をすること、建てた後の維持管理を責任をもって行うこと、この三つの確認ができたと思う。

ページトップ